2013年12月24日

クリスマス イブ

 走って帰ってきて、のんでいる。
ブログを書かねばなるまい。
 さぬ 走ってきた。
 そして、飲んでいる。よってるかも。
 つれずれなるまま書いてみる。
 親父と恋愛について話した時、彼が言った。
 『こりゃあかんな。と思ったら、さっさとあきらめて 次に行ったほうがいい。』
 それを聞いて僕が思った事は、
 恋愛は僕がおもってる程、ロマンチックではないものなのかもしれない。
 彼は、その時、すでに子供を3人かかえていたし、恋愛はもう過去の事であるはずであった。
  彼の言葉からは、こだわる時間がもったいなく、恋愛できる時間と可能性は限られていて
それだからこそ、貴重だ。 自分はこだわった時間は可能性を狭めてしまった。
というような印象をうけた。
恋愛に積極的かどうかって、いいことか、問われたら 僕はどうこたえるだろう?
 恋愛は、互いのグルーブであるものだろう。
タイミングともいうことはありうるかもしれない。
 かなり、酔ってきた。
話は混乱する。
黒澤明の「生きる」で、しぬとわかった主人公は、公園を造ることに命を懸ける。
確かに主人公は、美しい死に方をしたように見える。
 そこんとこ ほんまかい!と言いたい。うつくしすぎるのだ。
ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの「レナードの朝」では、レナード役のデニーロは
恋愛を美しいものとして表現し、誰がみても 彼の役の勇気と辛抱強さを共感し易いようにした。
 でも、うら話的にモデルになった人物は、生きれる期間でただただ女体を求めたとされていたようだ。
映画の影響で私が形成されている事態。
 美しくありたい。
これだ!
エゴじゃないか! 他人の評価じゃんか!
 また、話は変わるかもしれない。
役者。 恋。
 有名な売れてる役者 たとえば 真田裕之。
浮気がばれても、「芸のため」と いったりする。
世間的にも 「名優に特定の女は要りません」とかいって肯定してる風潮さえ受け入れられているようだ。
 そして疑問点。
役者はうそつきかどうか? 
いやちがう。
 そんなこと
どうでもいい。
役者のことも おいとこう。
 恋に終わりはあるだろう。
 愛に変わるってのも、なんだかこじつけみたいだ。
  この人じゃなきゃいやって、こだわりはなんだろう?
 自分の生きている時間と 可能性を その人のために捧げるのは、そんなにださくって
美しくないものなのか?
 いま ストーカーの問題が大きくなっている。
何が悪いかって、いやな人に関わりつずけられること。これは、人権として守られねばならないだろう。
 めちゃ酔ってる。
やばい。
 もう やめとこう。
楽な相手とじゃなきゃ 続かないのかな?
  

posted by まもるん at 01:16| 大阪 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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